#7
さて、約30万人の不登校の子どもたちがいるという現状を鑑みても、学校以外の居場所としての受け皿が多いほど、居場所を求めている子どもたちが居場所と繋がれる可能性は高まる。
私は、臨床心理士であるが、38年前から9年間に渡り、居場所を求め続けた元当事者という側面がある。私は臨床心理士であるが、臨床心理士である私でもある。当然のことながら、私の人格と仕事は切り離すことはできないし、そこに「臨床心理士としての私らしさ」があると思っている。
私の実家の本棚には、当時、私の母親が町の小さな書店で買ってきた「登校拒否」「学校嫌い」「不登校のサイン」という言葉が付く本が何冊も並んでいた。それらの本を読み返してみるとある特徴に気がつく。それは「居場所」ではなく「心の居場所」という言葉が多く使われ、「心の居場所」について論考されているということだ(*1坂本昇一 *2北澤康吉・北澤美裟子 *3能重真作)。その契機になっているのは、*4文部省「登校拒否(不登校)問題について-児童生徒の『心の居場所』づくりをめざして-」という報告書である。
また、不登校を題材にした*5プルスアルハ著「わたしのココロはわたしのもの」*6辻村深月「かがみの孤城」でも、主人公が他者との出会いや関係を通して心の居場所を見つけながら成長していく子どもの心情が丁寧に描かれている。
引用文献
*1 坂本昇一(1993) 「登校拒否のサインと心の居場所」 小学館
*2 北澤康吉・北澤美裟子(1997)「大丈夫だよ 登校拒否 登校拒否で苦しんでいる君へ」近代文芸社
*3 能重真作(1998)「居場所を求める子どもたち 不登校・登校拒否を考える」 あゆみ出版
*4 文部省(1992)「登校拒否(不登校)問題について―児童生徒の『心の居場所』づくりを目指してー」学校不適応対策調査研究協力者会議報告
*5 プルスアルハ著(2014)「わたしのココロはわたしのもの」ゆまに書房
*6 辻村深月(2017)「かがみの孤城」 ポプラ社
Comments